唐津焼(からつやき)は、佐賀県で製造している陶器です。温もりのある土ものの風合いと素朴でシンプルなつくりは、飾らない品のよさを感じとることができます。安土桃山時代には、茶の湯の道具として「一楽・二萩・三唐津」と呼ばれるほど有名な陶器に。生活用具としても「つかってこそ美しい」という信念が感じられます。1988年に経済産業大臣より日本の伝統的工芸品に指定されました。
唐津焼が誕生したのは、室町時代から安土桃山時代にかけてのことです。由来は諸説ありますが、近年の調査では、1580年頃に岸岳城(きしだけじょう)城主・波多(はた)氏の領地でつくられたものが唐津焼の始まりといわれています。
1592年より始まった朝鮮出兵の際、豊臣秀吉に随行していた佐賀藩主の鍋島直茂は、朝鮮陶工を何千人と自国へ連れて帰りました。当時は千利休の指導により、茶の湯が流行していた時代です。武将たちは、おもむきのある高麗茶碗にとても関心があったのです。朝鮮陶工たちの優れた技術により、高温かつ大量の唐津焼を焼き上げることが可能になり、そのうち全国にも流通するようになりました。西日本では「やきものといえば唐津もの」と呼ばれるほど有名になったのです。
1616年朝鮮陶工のひとり、李参平(りさんぺい)がよりよい土を求めて探索している際、佐賀県の有田町で磁器に適した良質の陶石を発見します。それまで唐津焼をつくっていた李ですが、白くてなめらかな磁器づくりを目指して有田へと移り、有田焼を誕生させました。
有田での磁器づくりが盛んになるにつれて、肥前(佐賀・長崎)の窯場は数が増えすぎて山が荒れはじめました。佐賀藩は窯場の整理をおこない、やきものの拠点を有田へと移しました。それから唐津焼は衰退の一途をたどります。
明治維新後も唐津焼の窯元は減っていき、技術が消失するかに見えました。しかし、唐津焼の陶芸家・12代中里太郎右衛門が唐津窯跡の調査を積極的におこない、「古唐津(こがらつ)」と呼ばれる昔ながらの技法の再現や、「叩き技法」を生みだしました。この伝承技法が認められ、1976年に文部科学大臣より無形文化財として指定されています。