小石原焼とは

小石原焼(こいしわらやき)とは、福岡県朝倉郡東峰村の小石原地区で、熟練した職人の手作業によって作られる陶器です。伝統的な技法を用いた模様と、温かみのある素朴な風合いを持つ小石原焼。美しさと実用性を兼ね備えた焼き物として、多くの人に愛用されています。

海外での評価も高く、1958年にはブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞。1975年には、優れた伝統と伝承が認められ、陶磁器では初めて国の伝統的工芸品に指定されています。

豊かな原料と環境が作り上げた小石原焼の歴史

1592年、小石原焼のルーツともいえる「高取焼」が始まりました。高取焼を作り始めたのは八山という陶工です。彼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に黒田長政という戦国武将に連れられて日本にやってきました。

八山は、関ケ原の戦いで手柄を立てた黒田長政が筑前国藩主になったのを機に、鞍手郡高取山麓に窯を造り焼き物を始めました。その後、窯場を転々と移し、たどり着いたのが小石原でした。では、なぜ高取から小石原に窯場が移されたのでしょうか。

当時、藩内では陶器の生産に適した土を探していましたが、小石原で採れる粘土が陶器に適していると分かりました。また、日常使いの食器が陶器から磁器に代わり始めていましたが、小石原ではその両方を焼く環境が整っていたのです。そこで、1669年に窯場が小石原に移され、小石原中野で採れた粘土を用いて鉢や壺(かめ)などが焼かれ始めました。

また、小石原は山奥にあり自給自足で生活できる基盤が整っていました。そのため、焼き物の製造は途絶えることなく続けられました。このような豊富な原料と環境が、小石原焼が発展してきた理由といえます。

小石原焼の大きな転機は第二次世界大戦後でした。敗戦後の物資不足により、すり鉢や甕(かめ)などの需要が拡大したのです。また、1948年頃から九州においての「民芸運動」が活発になりました。「民芸運動」とは、暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し活用する運動です。これにより、小石原焼は民芸陶器として広く評価されるようになりました。

1958年には、ブリュッセルでの万国博覧会においてグランプリを受賞し脚光を浴びた小石原焼。1960年頃からは窯元の増加と作業の機械化が進み、生産量が増えて市場は全国へ拡大しました。さらに、1975年には陶磁器として初めて国の「伝統的工芸品」として指定されました。

長きにわたり、美しい日用品として発展し愛されてきた小石原焼。その伝統は大切に守られながら、今も職人たちによる新たな挑戦が続けられています。