薩摩焼(さつまやき)とは鹿児島県で作られる陶磁器の総称で、大きく分けて白薩摩(白もん)・黒薩摩(黒もん)の2つがあります。薩摩焼は非常に種類が多く、それぞれに見た目や使用用途の違いがあるのが特徴です。
朝鮮から日本へ伝わったとされる薩摩焼は、現在ではさまざまなスタイルで作られています。作られる地域や種類、窯場などによっていろいろな薩摩焼が楽しめるのも魅力のひとつといえるでしょう。
焼酎などを入れるために使われることの多い黒もんと呼ばれる重厚感のある陶磁器や、白もんと呼ばれる美しい装飾品などが主な作品です。多くの流派や窯場のあった薩摩焼でしたが、現在では途絶えてしまった流派も多いので制作数も激減しています。
薩摩焼は今から500年ほど前、室町時代の後半から安土桃山時代に日本へと伝わったといわれています。1529年から1598年に起こった文禄・薩長の役の際、薩摩藩17代藩主である島津義弘(しまづよしひろ)が80人もの朝鮮人の陶工を連れ帰ったのがきっかけとされているようです。
朝鮮人の陶工たちは祖国の文化を守りつつ、独自のスタイルで作品を作っていました。それぞれの陶工が各窯場で自己流の陶磁器を作っていたため、苗代川系・龍門寺系・堅野系・西餅田系・平佐系など徐々に複数の系統に分かれていきます。現在も残っているのは苗代川系・龍門寺系・堅野系の3つのみです。
1867年にはパリで開かれた万博に薩摩焼を出展し、高い評価を得ました。薩摩藩単独で出展した作品たちは欧米の文化にも影響を与え、「SATSUMA」という愛称で呼ばれるようになります。