小代焼(しょうだいやき)は、熊本県北部で製造されている陶器です。400年ほど前に始まった小代焼は、ワラやイネからつくった釉薬(ゆうやく)を流しかける技法が特徴です。同じ時に同じ方法で製作してもまったくちがった色や模様になることから、唯一無二の逸品といわれています。2003年に経済産業大臣より国の伝統的工芸品に指定されました。
小代焼の歴史は江戸時代にさかのぼります。1632年に豊前(福岡県)から肥後(熊本県)へ配置替えを命じられた藩主の細川忠利に同行して、上野焼の陶工の牝小路家源七(ひんのこうじげんしち)と葛城八左衛門(かつらぎはちざえもん)が移り住み、小岱山(しょうだいさん)に登り窯を開いたのが始まりといわれています。その後、一子相伝にて肥後藩の御用窯として代々受け継がれていきました。
他国へ流出することなく、藩内の使用のみでほそぼそと製造してきた小代焼に、転機がおとずれたのは1836年のことです。販路拡大の命令を受けた山奉行の瀬上林右衛門 (せのうえりんえもん)は、産業を活発にするために瀬上窯を築き、小代焼の増産を図ります。このころから卸販売を始め、一般にも流通していきました。
瀬上窯は小代焼の宣伝文句として、別名「五徳焼」と名づけました。意味は、「腐らない、においがうつらない、湿気がこない、毒を消す、長生きする」という5つの効能があるというものです。こうして世に売り出し、広く注文を募っていきました。
明治維新以後は、藩の庇護がなくなり小代焼は衰退していきます。そんななか野田窯のみが「松風焼」と名づけて製造を続けました。熊本南関町と福岡筑後の国境にある関所「松風の関」にちなんでつけられた名前です。しかしほかの磁器に押され、一度は廃炉となってしまいます。