丹波立杭焼とは

丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は、立杭焼・丹波焼とも呼ばれ、兵庫県丹波篠山市今田(こんだ)地区付近(三田市、加西市なども)で焼かれる陶磁器です。

瀬戸焼(愛知県瀬戸市)・常滑焼(愛知県常滑市)・信楽焼(滋賀県)・備前焼(岡山県)・越前焼(福井県)と共ともに、六古窯(ろっこよう)の一つにも数えられています。

桃山末期までの400年間は、『小野原焼』と呼ばれており、山腹に溝を掘り込んで天井を付けた『穴窯(あながま)』で焼かれていました。この時代は素地をヒモ状にして一段ずつ巻き上げる”ヒモ土巻き上げづくり”を無釉で焼く、水甕がめや壺などの大型焼き物がメインでした。

江戸時代初期以降(1611年ごろ)からは朝鮮式半地上『登り窯』が使われるように。土地の傾斜を利用して作られる登り窯では、一度に多くの器を均等に焼き上げることができます。丹波焼地域独特の”左回転の蹴ろくろ”や釉薬(うわぐすり)が使われるようになったのもこの時期です。

成形はおもにろくろで行いますが、角型や置物などの複雑なものを作るときは、石膏型による鋳込み成形、たたら※¹、手ひねり、押し型などさまざまな技法が使われます。

装飾の紋様も葉文・貼り付け・釘彫り・流し釉・墨流し・人形手(にんぎょうで)※²・イッチン描き(筒描き)※³などじつに多彩です。

そんな丹波立杭焼の魅力は、備前焼や信楽焼よりも控えめで爽やかな色味と、飾り気のない素朴な味わい。花器・茶器・茶碗など日常づかいできる『暮らしの器』がメインの身近な工芸品ですが、植木鉢や酒樽などの工業品もつくられています。

使い込むほどに色合いや模様に味わいのある変化があらわれるため、実用品としてはもちろん観賞用としても長く愛され続けている焼き物です。

※¹:たたら板を使い同じ厚さにスライスしたり、のし棒で伸ばした粘土を貼り合わせたりする技法。『たたら作り』
※²:唐子(からこ)人形の絵柄のこと
※³:チューブ型・スポイト型の筒で泥漿(でいしょう)を作品に盛り付けて描く技法

丹波立杭焼の歴史には諸説あり起源も陶祖も謎に包まれている

丹波立杭焼の歴史は古く、開窯期(かいよう)※は約800年以上も前の平安時代末期から鎌倉時代の初めごろといわれています。

丹波立杭焼の起源には諸説ありますが、1つは須恵器(すえき)という陶質の土器で、5世紀ごろ大陸系技術の導入により作られ始めたという説。6世紀には大阪南部から地方に広がりを見せた須恵器ですが、平安時代以降には廃れてしまったといわれています。

その後、今田町辰巳字水谷(すいだに)にて須恵器の窯跡が発見されたほか、三田市の末(すえ)地区からも同様に須恵器の窯跡が発見されたことから、須恵器起源説が有力と考えられて来ました。

しかし、1977年に行われた県道改良工事をきっかけに、今田町三本峠北窯の物原(捨て場)の発掘調査が行われた際、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての”彫刻絵のある古丹波”『刻文壺(こくもんつぼ)』をメインとする壺や甕(かめ)が出土。

今田町三木峠北窯が丹波立杭焼開窯の地とわかったのです.

また、陶祖と呼ばれる人についてはハッキリとわからない部分が多く、丹波立杭焼は謎に包まれた神秘的な焼き物といえるのかもしれません。そんな丹波立杭焼は、1978年2月に国の伝統的工芸品として指定されています。

※陶磁器を焼くための炉(窯)を稼働開始すること